人生は「イス取りゲーム」とも言えます。だから当然、学校も、スポーツも、会社も結局は「椅子取りゲーム」です。
求められている役割があり、それを実現できる人数は決まっている。3人でいい場所に5人手が挙がれば、当然2人はあぶれます。
そのイスに座れる条件は意外と目まぐるしく変わるので、これまで「この能力が正義だ」と信じて努力を重ねてきたのに、時代やトップが変わったことで全く別の基準で誰かが抜擢される。それが引き金となって会社不信になり、心が折れていく。
まあ、よくある話
よくある話だけど、当事者にとっては「よくある」で済まされないっていうか、結構深刻な事態になりますよね。「狙うイスを変えるべき?」「そもそも 狙いたいイスある?」「 またイチからやり直す気力は残ってる?」とか、ちょっと茫然自失ってなっちゃいますよね。
そしてまた、会社のイス取りゲームは「知っている人同士の椅子取りゲーム」なので厄介ですよね。普段はイスなんか狙ってないよー、みたいな顔して付き合ってるのに、「あいつが椅子に座ったのか・・・」みたいな。序列が出来ちゃったりして。会社は組織図が事実なので、序列は組織図通りです。「自分よりあいつの方が上なのか??」と、残酷ですよね。
僕自身は、そのいやが応にも序列が付く感じが嫌だったというのもあるし、いろんな環境、意図、都合で求められる能力が勝手に変わる不条理さに、イス取りゲームに対し、ちょっと「しらけ」を覚えていたのも事実です。なので、「イス取りゲームに真剣になるのが怖い」のと「真剣になれない」の両方でした。
でも、人生はイス取りゲームですから、いす取りゲームをやめることはできないわけです。シラケてるとか斜に構えてる場合じゃないのです。
ただ、起業して、いままでのイス取りゲームとの明確な違いは「知らない人同士のイス取りゲーム」だってことです。そして、今、何個イスがあって、そこに何人参加してるのかもよくわからない。
なので、「何らかの意図」みたいなものが見えない分、ノーストレス。また、「きっとこうなんじゃないか」と自分都合で仮説を立てて、鍛えてゲームに参加してるので、純粋に楽しい。暗闇でのいす取りゲームに参加してるみたいで、怖いけどワクワクするというかぞくぞくする感じ。
で、やってみてハッと気づいたんです。
「 このイス取りゲーム、1回じゃ終わらないぞ」って。座れなかったら、またチャレンジすればいいだけの話だったんです。 会社のイス取りゲームには定年や異動という「終わり」が来る。ゲームへの参加権を剥奪される日が必ず来る。でも、人生のイス取りゲームには終わりなんてない。自分が諦めない限り、永遠にゲームは続くんです。
そう思ったら、一気に心が軽くなったというか、腹が括れました。 「次はどんなルールのゲームに挑んでやろうか」「どんな面白い参加者がいるんだろう」って考えるだけで、ゾクゾクしてくる感じ。
ちなみに今の僕が挑んでいるのは、「経営者の熱い想いを現場の末端まで届け、会社を自走型組織に変える」というイス取りゲームです。そこに最初から用意されたイスがあるのか、そもそも何個あって何人ライバルがいるのかすら分からない。
でも、だからこそ面白い。 自分が信じたこの役割(イス)に座れるまで、何度座れなくても挑み続けていこうと思っています。
「ところで、北村さん?家の中に自分の座るイスはあるんですか??」
「・・・・・・・・・あるのか???(笑)」
*写真は、このブログにたびたび登場する黙古寿の焼き豚ラーメン。黙古寿さんに僕の座るイスはありました(笑)
#100 人生はイス取りゲーム
